So-net無料ブログ作成
検索選択

2016-11-06 石原慎太郎の葛藤と、相模原障害者殺傷事件の背景>雨宮処凛ブログから [雑感]

ハフポスト雨宮処凛ブログ記事 [石原慎太郎の葛藤と、相模原障害者殺傷事件の背景を考える。]の一部を以下に引用。

現代思想」10月号に掲載された上野千鶴子氏の

「障害と高齢の狭間から」雨宮氏が切って取ったものが胸に響く。

高齢者は自分を障害者とは思っていない。
それどころか障害者と自分を区別して、一緒にしないでくれと思っている。
脳血管障害の後遺症が固定して周囲が障害者手帳を取得するよう勧めても、
それに頑強に抵抗するのは高齢者自身である。
なぜか? その理由もわかっている。
高齢者自身が、そうでなかったときに障害者差別をしてきたからだ。
自分が差別してきた当の存在に自分自身がなることを認められないからだ」
弱者になれば、他人のお世話を受ける必要も出てくる。
そのための介護保険である。
それだからこそ弱者にならないように個人的な努力をするより、
弱者になっても安心して生きられる社会をとわたしは訴えてきたのだ.
生産性が高く効率が良く
その上費用対効果がいいものでないと価値がないとする考え方。
すべてが数値化されどれくらい経済効果が得られるかのみに換算される社会。
そんな価値観は、結果的には「弱さ」を抱えた自分自身に牙を剥く。
私たちはできるだけ多くの人ができるだけたくさん幸福であることがよい、
と考えている。
言い換えれば、不幸や不快ができるだけ少なく小さくなることがよいと。
これには、ほとんどの人が賛同するだろう。
このアイデアを、倫理学的な原理にまで高めたものを、功利主義と言う。
だが、功利主義は危険な思想である。
功利主義に基づくと、他人に多くの快楽や幸福をもたらす人の生は重んじられ、
に、他人に苦労を要求せざるを得ない弱者の生は
軽いものになってしまうからだ。
その弱者には、障害者や老人が含まれる。
すると、気づかぬうちに私たちはUの主張のすぐ近くに来てしまう
相模原事件が私の心を離れないのは、
彼の主張と現実の社会が奇妙に符合していることによるのかもしれないと。
ネット上の悪意に満ちた言説を突き詰め学校で教えられるタテマエを突き詰め、
経済原理ばかりを追求して財源論で命を値切るような
社会の空気を突き詰めた場合の最悪の「解」のような。
事件後から容疑者の措置入院解除が問題視されているが、
斎藤環氏は以下のように書いている。
「しかしこの議論の行き着くところは必然的に『予防拘禁』の肯定である。
精神障害者は再犯の怖れが完璧になくなるまで隔離せよという主張は、
『障害者に生きる価値はない』とする植松容疑者の主張とほとんど重なり合う」
DPI日本会議の尾上浩二氏の原稿に出てきた言葉。
「殺されてよい命、死んでよかったというような命はない」



自分がその立場に立ってもなお、
障害者を差別することをやめない。
それは自分が障碍者だと思っていない、
あるいは認めないところからくるのだと。
「予防拘禁の肯定は相模原事件のU の思想
(障害者は社会から排除せよ)となんら変わらないということ。
あらためて事件と、その対応に怒りが湧いてくる。

続きを読む


nice!(13)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康