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9.1朝鮮人虐殺から93年、日本は変われているか [雑感]

公民館から子どもたちが練習する
にぎやかにお祭りのおはやしの音が聞こえてくる。
しかし去年の戦争法成立以来
この音色を心底からは楽しめないでいる私。

南スゥダン派遣の「自衛隊員」に
駆けつけ警護の訓練が始まっている。

PKO「平和維持活動」などという言葉のまやかしに
ごまかされてはいけない。
伊勢崎賢治さん(元自衛隊、いま日本外語大教授)は
平和維持(?)「軍事行動」というものですと言っている。

コバ節さんは
孫が生まれた時、命の一つ一つが
かけがえないことに改めて気づかされ、
「国防のためになら
3000人自衛隊員が死ぬのは仕方がない
と言っていたが改めます」といっていた。
まして遠いアフリカの国に、
国防という目的があるというのだろうか。

「自衛隊員」も
やまゆり園での「障害者」も
「イスラムの人」も記号ではなく
生きている人間だということ。
そのことを以下の記事で考えたい。

この引用抜粋記事はヘイトに関するものだが
考えかたはまったく同じだと思う。


オトナの社会科・中東からの声を手掛かりに。から引用

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2016年 09月 01日
93回目の関東大震災の日に。
「虐殺」に走った人と、とめた人を分けたのは、何だったのか?
今だからこそ読み返したい一冊。
「九月、東京の路上で  
1923年関東大震災ジェノサイドの残響」
加藤 直樹さん著

1923年9月1日の関東大震災後。
「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」
「鮮人が暴動を起こす」という不確かな情報に
恐怖を感じた人たちの手で、
数千とも言われる人の命が、
わずか数日の間に奪われました。
在日韓国朝鮮人の人たちだけでなく、
中国人労働者や、
標準語を発音できなかった聴覚障害や
沖縄の人たちも犠牲になっています。
犠牲を大きくしたのは、自警団だけでなく、
未確認情報を拡散したメディア、
「暴動鎮圧」のお墨付きを与えた警視庁、
そして朝鮮本国での弾圧さながらに出動した軍隊でした。
後から事実無根に気づいた警察が事態を収拾するまで、1週間。
虐殺の嵐が吹き荒れる一方で、それに抗して、
在日の人たちを命懸けでかくまい、
守った人たちも存在していました。
<以下引用の中の引用>
”朝鮮人を殺した日本人と、朝鮮人を守った日本人。
その間にはどのような違いがあったのだろうか。
朝鮮人虐殺を研究する山岸秀はこれについて、
守った事例では、
たとえ差別的な関係においてであっても、
日本人と朝鮮人の間に一定の日常的な人間関係が成立していた」
と指摘している。
つまり、朝鮮人と実際に話したこともないような連中とは違い、
ふだん、朝鮮人のだれかと人としての付き合いを持っている人の中から、
「守る人」が現れたということだ。
言ってしまえば当たり前すぎる話ではある。
だがこの当たり前の話を逆さにしてみれば、
「ヘイトクライム(差別扇動犯罪)」とは何かが見えてくる。”
”ヘイトクライムは、
日常の場を支えている最低限の小さな結びつきを
破壊する犯罪でもあるのだ。
ごく日常的な、小さな信頼関係を守るために、
危険を冒さなくてはならなかった人々の存在は、
日常の場に乱入し「こいつは朝鮮人の、こいつは敵」と叫んで
暴力を扇動するヘイトクライムの悪質さ、
深刻さをこそ伝えている。”
”「非人間化」を進める者たちが恐れているのは、
人々が相手を普通の人間と認めて、
その声に耳を傾けることだ。”
そのとき、相手の「非人間」化によらなければ通用しない
歴史観やイデオロギーや妄執やナルシズムは崩壊してしまう。
だからこそ彼らは、「共感」というパイプを必死にふさごうとする。
記号としての朝鮮人や日本人ではなく、
名前を持つ誰かとしての朝鮮人や中国人や日本人が
そこにいたことを伝えたかったのだ
「共感」こそ、やつらが恐れるものだから。
そして、文章をまとめていくなかで気づいたのは、
実は90年前の路上もまた、
「非人間」化と共感がせめぎあう現場だったということだ。
< 引用の中の引用終わり>
”わが街で、わが子の目の前で
「ゴキブリ朝鮮人、死ね、殺せ」と言われた絶望が、
「きょう、みなさんと一緒に希望によって上書きされた」。”
(崔 江以子さん)ツイト
法案成立前に野放しだったヘイトデモが
桜本の小さな商店街に入ろうとした時、
路上に身体を投げ出して阻止したのは、
何十年も同じ街に住み、同じ商店街で買い物をし、
同じ地域の祭りを担ってきた住民同士、
全国から駆け付けた同じ思いの人達でした。
この日常的な共感こそが、
小さな結びつきひとつひとつが、
紡いだ結晶だと思います。
一方で、津久井やまゆり園の障害者襲撃事件に露わになった、
「障害者は抹殺していい」という思考。
日本人人質事件後に巻き起こった、イスラム教徒への排除…。
まさにいま現在進行形で、この日常空間で、
せめぎあいが続いています。



日本は変われているのかと考える。
条例ができたことは変われた部分かもしれない。
しかし
「記号」を「人間」に置き換えて想像できる人の数は
まだまだ足りない。













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