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2015-08-13 南スゥダンのPKOって [雑感]

simatyan2のブログから引用。
吹っ飛ぶ内閣
南スーダンで
国連のPKO活動に参加している
自衛隊の部隊が、 来年の2月から
法律に基づいて運用されると書いてある」
と言うことですが、
自衛隊がイラク派遣でやった
人道支援みたいなのや、
睨み合う当時国軍同士の間で、
青ヘルメットかぶって立っているのが
PKOの実質だと漠然と思っているとしたら
大間違いです。
任務が平和維持である以上は、
反乱を起こした暴徒やゲリラ、テロリストの
対処も求められるのです。
今までは武装はあくまで護身用で、
実際にドンパチ再開すると
基本的に撤収してました。
しかし、改正以降は
必要があれば戦闘可能になるのです。
後方支援じゃ済まなくなるのは当然で
警護と称しての戦闘になります。
「憲法解釈変えなくても邦人救出はできるし、
そもそも邦人救出と
集団的自衛権とは関係がない。
PKOの派遣先は戦場ではないので
軍事行為ではなく警察権の管轄。
だから9条の縛りは効かないし、
これも集団的自衛権は不要。
安部政権が問題として上げてることは
殆ど個別的自衛権で対応できるから、
わざわざ違憲な解釈してまで
ごり押しする必要はないはず。
そこまでして法案を通すのは
裏があるんじゃないか」
と憲法学者が懸念するのも当然。


以上引用終わり。

なにが言いたいかっていうと、
戦争法案はやっぱり「戦争法案」だった。

中国や北朝鮮の脅威なんてものは
めくらましってこと。
右翼の方たちはこの件について
全く目をつぶって口を閉ざして

「昔カルタゴという国があったが、
武器も何も持たなかったためロォマに占領されて滅びた」
なんて話をしている。
紀元前の商業国の話をしてどうするんだ。

当時は
「強いものが弱いものを支配する」のが当たり前の時代。

その時と今の世界が
全く同じ思想レベルというのだろうか。
戦争は確かになくならない。
強いものが支配するという論理に
突き動かされているように見える。
しかしそれが当たり前だと考えている人は
圧倒的に少なくなってきた。

今や世界の常識は軍事ではなく、
外交で物事を解決しようとしているのだ。
あの南沙諸島など、
一昔前ならとっくに軍事衝突になっていてもおかしくない。
それがいわゆるトラブルの段階にとどまっているのは

各国のお互いに血を流すような戦争はもう駄目だという
平和を希求する流れ>TAC(東南アジア友好協力条約)
があるからだ。

TAC(東南アジア友好協力条約)とは
TACは一九七六年に、
「世界の平和、安定、調和をいっそう促進するために、
東南アジアの内外のすべての平和愛好国との協力が必要」(前文)
という考えから結ばれました。当初の加入国は
インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ
の五カ国です。
条約の最大の特徴は、
「武力による威嚇または行使の放棄」や
「紛争の平和的手段による解決」、
つまり戦争放棄を定めた
日本国憲法と共通する目標を明記していることです。

加入国間で争いが起きたら、
「武力による威嚇や武力の行使を慎み、
常に加入国間で友好的な交渉を通じて、
その紛争を解決する」と定めています。
当事国だけで解決することが難しい場合は
加入国の閣僚級代表でつくる理事会が
仲介することも明記されています。
 国連憲章の諸原則、
バンドン会議(一九五五年)の平和十原則、
東南アジア諸国連合(ASEAN)設立宣言、
「平和・自由・中立地帯(ZOPFAN)宣言」を再確認し、
加盟国間の永遠の平和と
経済、社会、文化などでの協力をめざしています。
二〇〇五年から三回、
「東アジアにおける平和、安定及び
経済的繁栄を促進することを目的とした対話フォーラム」で
共同体形成をめざす東アジア首脳会議が開かれており
TAC加入が参加条件です。

なぜ戦争放棄?
東南アジアの国々が長年にわたり、
戦争によって苦しんだことが背景にあります。
一九五五年にインドネシアのバンドンで、
第二次世界大戦後に独立したアジア・アフリカの
旧植民地国など二十九カ国が国際会議を開きました。
日本も参加しています。
会議が採択した「バンドン十原則」は、
国連憲章の原則をふまえ、
主権尊重、内政不干渉、、
紛争の平和的解決、武力行使の放棄
が盛り込まれています。
欧米の植民地支配や日本の侵略戦争に苦しんだ国々は、
自分たちの運命は自分たちで決めることに合意したのです



これこそ、歴史から学んで人類が進歩する姿ではないか。
右翼の方々は一体いつまで世界を古代にとどまらせるつもりなのだ。

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